| 【澄まし】 |
射を行うには、気構えが必要である。これを澄といい、三つの場合がある。実射にうつる以前の澄を「前の澄」といい、短くいえば数分または数時間、長くいえば数日或いは数ヶ月前から潔斎するとか、道場内で態度精神を整え落ち付けることであり、実射の時の澄を「中の澄」といい、最も心身の調和統一のとれた状態である。射終わって退場するまでを「後の澄」といい、やはり態度気構えを乱してはならない。そして前後の澄は狭義には射の前後の場合であるが、広義に解すれば、日常の生活にもこの澄が必要なのである。ここに「射即人生」の意義がある。(教本2巻p53千葉胤次範士)
行射に際しては、美しく整った正しい姿勢で臨まなければならない。弓矢を手にした執り弓の姿勢が先ず第一に凛然たる姿であり、内心を正しくして射位に立つことが肝要である。そして、行射の進行につれて三つの澄しを忘れてはならない。執り弓の姿勢で控え、射位に至って跪坐するまでは初めの澄しであり、足踏みから弓構え・打起し・引分け・会に至るは中の澄しであり、心身ともに十分伸合って遂に自然の離れを導き出し、弓倒しを終り、退坐するまでを後の澄しと考えるのである。かくの如く、外は体姿従容として迫らず、内に精神の澄しが伴って射が行なわれるところに、弓道としての真髄がある。(教本3巻p27高塚徳太郎範士)
いきなり、教本から「澄まし」について引用紹介させていただいた。審査の学科試験で「心を澄ます方策について述べよ」という設問があり、私はこの問題に少々悩んでいるからである。学科で「澄まし」が出題されると、上記の千葉範士、高塚範士の教えを記することになるが、実は設問は「方策について述べよ」であり、教本には方策については記載されていない。「射における澄ましの重要性と三つの澄ましについて」というような設問なら教本の内容でも良いのであろうが、方策を問われた場合にどう回答するのがよいのか・・・審査では書けない私の回答を考えてみたい。
実は、私は「澄まし」が好きである。気持ちがいいからであるが、家を出て道場に向かうとき、道場に入って挨拶をし弓を用意しているとき、行射のとき、いたるところに「澄まし」はある。弓道ではないが、職場などでも一つの仕事を終え、次の仕事に移るときに机の上を片付けて新しい仕事の準備をする。これも「澄まし」の一つだろう。
「澄まし」とは心を整える作業である。色々な思考思惑を整理し、自分の心の在りようを感じられるようにする作業だと思う。自分の心の中を見、射に不必要なものを排すること。慢心を押さえ、不安を除き、修練を確認すること。これが「澄まし」の一つである。「審査を受ける」の項で、「澄まし」には学科や道具の確認が大事と書いたが、これら一つ一つの確認は心を整えて行く作業なのである。
「澄まし」の二つめは、道場との対話である。射はたとえ射場に自分ひとりだとしても、勝手に引いていいものではない。道場内にゴミや行射に障害となるものはないか、的や垜はきちんとしているか、そうゆうことを確認する作業、道場と会話する作業が必要である。道場は射手が心と体を用いて射を行う舞台である。その道場と射手が気持ちを通わせないで射はありえない。だから、弓を張ったら垜や矢道に水をまいたり、草をむしったりしながら道場と会話をする。道場は建物であるが、そこには明らかに気がある。毎日の練習をしている弓人達の気、先生の気が残って満ちている。そうゆう気に守られていることを感じ、感謝できるように心を整えること。これが「澄まし」の二つめだと考えている。
三つめの「澄まし」は無と自己との対話だと考えているのだが、これはまた別のところで書くことにしたい。
ある初心者講習会で、「澄まし」が大切ですという話をしたところ、「澄ましはどうしたらできるのですか」と質問を受け、一緒にいた方が「座禅の呼吸をするといい」というアドバイスをされた。確かに、呼吸を整えるのは重要である。弓道の練習に座禅を取り入れている学校もあると聞く。だが、私の考えている「澄まし」は少し違う。
私は「澄まし」が自然に出来るようになるには、掃除をする習慣を身につけることが良いと思っている。玄関や部屋の掃除、机の掃除・・・、掃除はものを奇麗にすると同時に自分の心を奇麗にする。子供なら、部屋をかたずけたり玄関や庭の掃除を手伝い褒められながら掃除を覚えてゆく。手伝いをするうちに、掃除をすると気持ちがよく楽しいということを覚え、親に言われなくてもするようになる。人の目に触れないところも掃除するのは、自分が納得し楽しむためで、汚れを残しておけばたとえ見えなくてもその汚れは心に残り清清しい気持ちにはなれない。汚れを落とし奇麗にし、在るべきところに物を置く。掃除は「澄まし」と同じだと思う。
『テーラ・ガータ』(長老偈経)という仏典にチューラ・パンタカという出家の話がある。憶えの悪い彼に、仏陀は「なにも憶えることはないから、布切れをもって人々の履物を浄めることに専念しなさい」と命じたという。そして彼は教えを受けにくる人たちの履物を拭うことに専念し、とうとう仏陀の教えを会得することが出来たというのである。それは「人の心も汚れやすいもので浄めることは難しい。だからこそ、心を清めることに専念しなければならない」という教えであった。
私が名古屋で審査を受けた時のことである。学科審査の担当をされていたK範士から「今、手洗いに行ってきたらサンダルが脱ぎ散らかっている。礼を重んじる弓道で審査を受けようとする人がそのようなことではいけない。」と注意があった。実は私も手洗いでそのことに気づいていたが、自分のサンダルはそろえたものの他を整えるまではしなかったので、反省を深くしたのを憶えている。心に従い動けるようでなければいけないと思った。
「澄まし」に関連して仏典と私の経験から記させていただいたが、掃除をしたからといって弓が上手になるわけではない。だが、掃除、身だしなみ、言葉使いを整えることは全て自分の心を整えることであり、邪心を排し心に隙を作らないことである。これをいい加減にして、弓道の時だけ「澄まし」をしましょうといっても出来るわけがない。心の動きは射に現れるのである。弓道のために「澄まし」をするのではなく、自分の姿形、心を正しく整えるために普段から「澄まし」が出来るように心がける。そうゆう日々の心がけが弓道にも活かされてくると考えている。
だから、「心を澄ます方策について述べよ」と問われたら、私は迷わず「掃除をしましょう」と回答するのである。
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