| 【道具に習う】 |
「弘法筆を選ばず」という諺がある。書の達人であった弘法大師空海は字を書くのに筆の良し悪しを選ばなかったということから転じ、「達人はどのような道具を使っても上手に出来る」という諺である。この諺は初心者が練習の不足を棚に上げて道具のせいにするのを戒める諺であってそのままに理解すると間違ってしまう。大工の鉋、演奏家の楽器、料理人の包丁、どの例をみてもいい仕事をする人の道具は丁寧に扱われメンテナンスされている。自分の技量に応じて良い道具が必要になるし、良い道具は使い手に道具の扱いを教え、技術を伸ばしてさえくれるのである。
弓道も同様。道具は私たちに弓の引き方を教えてくれる。毎日のように触れる道具から何を教えられているのかを考えてみたい。
【弽に習う】
弽について思い出すのは私がまだ弐段の頃の事である。当時私は弽の握り込みが強く拇指の関節が帽子の中であたりタコが出来るほどであった。他の人の指にタコは出来ていないから自分の引き方に問題があると知りとても恥ずかしくどうしたら拇指を伸ばす事が出来るのかを苦心していた。テープを巻いて拇指が曲がらないようにまでしたものである。道場では弽を捻るように指導されていたから握り込んで捻れば当然「箆じない」が起こる。弽を捻りながら「箆じない」を起さないようにするにはどうしたらよいのか。拇指のタコやひょろひょろ飛んでゆく矢を見ては考えたものである。
弽を捻るように言われても捻り方が分らなければ使えない。取り掛けの形、円相の作り方、肩や肘の位置方向などが整い、弽が弦や矢に対してどのように添えられてゆくのかが分って初めて弽が使えるようになる。さらに、取り掛けが出来たとして、打起しから大三、引分けて会に至る変化に弽の働かせ方を感じ、弦の押し方、ゆだね方を知らなければならない。弐段どころか現在も修練中の弽使いの微妙な技である。
弽は流派によって作り方が違うし弽師の考えによっても形が違う。同じ弽師が作ったものでも年代によって違うくらいであるから、弽を見ずに「弽はこう使う」ということは言えない。弽の役割から言えば、弦を押し引くことが出来、伸び合いの頂点、離れで素直に離れる弽が使いやすい弽と言うことであろう。本当に良い離れが出たときには、勝手は有るべきところに飛び、弽の姿も瞬時に納まる。
弽は帽子の角度、長さ、弦枕の形、腰や捻皮の形によって取り掛けの形が大きく違ってくる。手が素直に入り全ての指に長短なく、取り掛けの形を作ったときに帽子に指が無理なく添えられるものが良いと思うが、人それぞれ手の形は違うので弽を購入するときは色々試させていただき、自分にあった弽を購入しなければならない。可能ならば道場の先生や先輩に見ていただくのが良いであろう。
私は道場の先輩の多くが使っていた弽師さんに手形をとって作っていただいたが、この弽が正しく使えるようにと思って練習している。弽に教えてもらう気持ちである。弽が使えているかどうかは、弦枕のところから腹革にかけて付く離れの跡を見て判断することが出来る。弦枕の下側に跡が付くが上(虎口側)に付くようなら捻りが足りないか、三味線離れをしている証拠である。跡が大きく付いているのも離れの瞬間弦が擦っていることだから、離れに切れが無い事になる。
筈の位置も弽の形によって工夫が必要なところだから、捻皮につく筈の跡を見て、自分の弽にあった筈の位置を探さなければならない。筈半分位置を変えるだけで離れの軽さが全く変わる。何十年も使える弽はそれこそ弽がえのない道具でありパートナーである。上手に使えていればそうそう傷むものではないし、扱いに注意しメンテナンスをしながら弽が伝える言葉を聴けるようになりたい。
【弓に習う】
弓の形は実に美しく、見ているだけでも気持ちの良い弓というのがある。姫反、鳥打の曲線から胴の入り方、下の姫反の線など、弓師の技術は想像も付かない奥深いものだと思う。私はこれまで同じ銘の弓を好んで使っているので、違う作者の弓を使い比べた感じというのはよく分らない。グラスファイバーの弓やカーボンを挟んだ弓なども使ったことが無いので其の点も無知である。だから、私の使っている弓を基にした考えである。
弓は育てるという。弓は生き物でそれ自体クセをもっているから、そのクセを見極めて調整してゆかなければならない。その意味では可能な限りクセの少ない素直な弓が良い。逆に射手の引き方は弓に移る。弓手を強く握りこんだり、捻りすぎたりすれば弓は曲がったり壊れたりする。中押しをよしと考えているが押し方でも形は変わるし、手の内が不安定で弓が暴れても壊れる原因となるから手の内はよくよく練習しなければならない。初心者の頃は先生や弓具店の人に弓をよく見てもらい、弓のクセや自分のクセがどのように弓の形に影響するのかを教えてもらうのが良い。
弓の形で最も分りやすいのは張り方によって形が大きく変わることであろう。張顔を見て形を整え直すのは当然だが最初の張り方で同じ弓とは思えないほど形が違ってくるから弓を張る時は丁寧に行い、その後弓のクセをみながら形を整えるのである。弓のどこを持ち下弭の引き上げ方はどうするのかなど自分の弓でいろいろ試してみると良い。基本は曲がりの少ないところを持ち握りは決して押さない。張るときに弓を押すというのは禁物である。手形が入ると言って弓を傷めることになる。弓の弱い部分を押しているとどんどん弱くなるからこれも要注意である。
弓の張り方も色々あるが、「弓師張り」は最初難しいが出来るようになると、弓に素直に力を加えることが出来、各部署の働きもよく分ると思う。弦を外した後も裏反りを見ていたわる心が大切である。
練習の途中途中でも弓がどのように形を変えているかを見るのは大切で、丁寧に形を整えたり休ませたりすることが必要である。
弓が教えてくれる事の中で楽しいのは「弦音」である。正しい手の内でしっかり伸び合って離れれば乾いた鋭い「弦音」がする。手の内の微妙な違いで弦音が変わるのも分る。私は「弦音」を聞きながら自分の射の良し悪しを反省するようにしている。弦音が悪い時には弓の形「成り」が変わっていたり弓に故障がある可能性もあるから使うのを止め、弓を調べなければならない。以前とても癇のいい弓を引いたことがある。鋭い弦音とともに一手ごとに手ごたえが伝わってくる素晴らしい弓だったが、あまりの癇のよさに楽しくなりすぎて立て続けに引いていたら外竹をはじいてしまった。私が弦音に溺れてしまったのである。せっかくの弓を・・・と反省したが後の祭りである。癇の強い、弦音の鋭い弓は故障する可能性も高いから休ませながら丁寧に扱わなければならない。外竹替えをした弓は別ものになるから心して弓を扱うようにして欲しい。
弓は会でも教えてくれる。大三から下弦をしっかりとって引分けてくると、下弭が引き上げられた感じで効いてくる。会で伸び合っていると、この下弭の効いた感じがすぅっと楽になって納まりを感じることがある。このようなときは、素直な勢いのある矢が出る。私は弓は下をいかに使うかだと思っているが、出来ているかどうかは弓が教えてくれるのである。下弦の取り方は大三からの引分け方、弽の捻りにも関係しており、また手の内や各所骨が納まり伸び合いが正しく出来ないと感じられないから工夫のいるところである。
【矢にならう】
矢はジュラルミンやカーボンの矢などもあり初心者や学生はいいだろうが、やはり竹矢の味わいが分るようになりたい。にべ弓と同様竹矢には持ったときのあたたかい感触があり、矢師が心を込めて作った思いが一本一本に込められているように感じられる。竹矢の微妙な味わいを感じ取ることも大切な修練である。
矢は箆の形状や釣り合い、羽など好みを伝えて作ってもらうことの出来る道具で射手の趣向が出るところだから、楽しめるところでもある。だが、やはり実用の道具だから練習で使い一本一本の矢飛びから学ぶことが大事である。
まず、初心者が経験するのは「箆じない」である。弽で押さえることで、「箆じない」は起こるが、矢飛びを見れば、前に飛んだり、螺旋を描きながら飛ぶから自分でも分る。これを「矢色がでる」という。「矢色」が出るのは、「箆じない」の他に離れの方向が違うとき、左右のバランスが崩れているときにも起こるから、矢飛びを見て射を直すことができる。
頬摺羽(弓摺羽)が極端にすり減るのも離れに問題があるといえる。「箆じない」をしている場合には羽が強く弓を擦ってゆくから羽は傷みやすくなる。また、馬手が強い場合、弓手が緩んでいる場合も同様である。手の内が悪く弓返りが悪い場合も頬摺羽は傷む。ただし、弓手を大きく振り込むクセのある場合には、頬摺羽は弓に擦らないから傷みは少ないが、振込みは別の欠点である。頬摺羽の極端な傷みは射の問題点を教えてくれるが、正しく引いていて全くすり減らないかといったらそうゆうことでもない。ある程度は傷むものと考え、気になるようなら弓具店で羽替えをしてもらうと良いだろう。
竹矢は生き物である。使い方、湿度などで微妙に変わるから、使用後はきちんと乾拭きをするとともに、箆に傷などないかを確認し仕舞う様にする。垜の砂がついたまま仕舞うのは論外。板付が錆びたり、箆が湿気を吸って傷む。箆を良く拭き、羽を整え、筈の痛みが無いかを確認し、感謝の思いとともに矢筒にしまう。矢筒に仕舞うときも、上から放り入れるのではなく、羽を揃えながら丁寧に入れるようにしたい。
道具は単なる物ではなく、弓人の弓道の方向を決める大切なものである。弽師、弓師、矢師、それぞれの思いを受け止めながら自分の進むべき弓道に合った道具を使い、道具に教えられながら練習をしてゆくものだと思う。試合会場などでよく忘れ物や他人の弓や矢を間違って持ってゆく人がいるようだが、自分の道具と心を通わせていない証拠である。忘れられた弓や矢はさぞ寂しい思いをしていることだろう。自分の道具に印や名前を書いて区別するのも大切な心がけで、自分がわかればいいというのではなく、他の人に間違わせないための心配りでもある。
道具は慣れてくると人と一体となってくる。料理人の包丁が手の延長であるように、弽は弽を意識せず、弓は弓を意識しないようになる。電車などに乗っても邪魔にならないくらい持ち運びの動作も自然になる。大切な道具である。心して道具と会話できるようになりたい。
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習う |
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道具に習う |
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