| 【講習会】 |
【初心者講習会】
昨今は講習会やカルチャー教室がひろくあって、色々な方が習いに来る。市や町のスポーツ行政でも、地域の連盟に委託して弓道教室を開催している。そういうところには、“弓道に興味をもっていたけれども何処で教えてくれるのか分らなかった”という全くの初心者から“都合で休んでいたけれど再開したい”といった様々な理由の人が来て一緒に習い始めるので、普段の道場とは違った空気があり新鮮である。私は、人が何かを始めるときの縁、興味を持つきっかけに関心があるから、初心者講習会に来る方の気持ちの有り様に興味がある。
初心者向講習会には弓道を習いたいという人だけではなく、“弓道ってなんだろう”という興味で来る人も多いようで、“テレビを見て興味をもった”とか“袴姿がかっこよさそう”とか“集中できそうだと思った”という声もあり、中には“子供がやりたがったので一緒にやってみようと思った”という方もいて親子一緒に通ってくるケースもある。微笑ましいものである。
こういう人達は弓に触って体験してみたいようである。そういう気持ちを大切に受け止め、弓道を紹介することも大切なことだと思う。時々、初心者講習会でお世話する方から「せっかく講習会をやっても、残って続けてくれる人が少ない」「15人ぐらいの講習会で残るのは2〜3人しかいない」という声を聞くが、習いごとを始める前の覚悟が昔とはづいぶん違うようであるから、仕方がないのかもしれない。
もちろん教える側からすれば、せっかくだから続けて欲しいと思うし、弓道の良さをアピールしたいのであるが、経験者とまだ初心者とも言えない人では、どうしても温度差がある。一人でも多く続けてもらいたいという願いも、そのための工夫も大切だが、私は残った人を丁寧に育てることが多くの入門者を迎えることにつながると思っている。
弓道の経験者は自分なりの楽しみをもっているし、“弓道はこうゆうもんだ”とか“弓道の心構えはこうだ”という考えをもっていらしゃる方も多い。教本にも“弓道の理念”や“眼目”といったことが書かれていて弓人それぞれが修練しているから、弓道の基本として初心者に伝えなければならないと思う。しかしこれも段階を経てのことだろう。いきなり初心者に講義したり、「弓道はこうゆうものだから目指してください」と教えても伝わるものでは無いと思う。『風姿家伝』年来稽古条々七歳に「ふと仕出ださん懸りを、うち任せて心のままにせさすべし。さのみに、善き悪しきとは、教ふべからず。余りにいたく諫むれば、童は気を失ひて、能物ぐさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。」とあまり口うるさく言えば、やる気を失ってしまうということが教えられている。弓道の眼目とするところを伝えるのは基礎においても大切なことだと思うが、頭でっかちの弓道入門になっては弓道の魅力が失せてしまう事にもなりかねないだろう。正しいことを伝えるにも段階があると思うから、教える方の注意の必要なところである。
ただ、初心者の中にも武道を通じて礼儀や精神的厳しさを学びたいという人もいて、安易に入口は優しく・・・とか、早く的に立たせて当てる喜びを・・・とやっていると入門者を軽んじる結果となるから、個々人の希望や様子をきちんと把握することが大切である。
【有段者への講習会】
入門者向け初心者向けの講習会に加えて、有段者への講習会が盛んである。段位別に分かれて経験豊かな範士・教士の先生に教えていただける機会は嬉しく、先生の人柄に触れることも勉強になる。ある講習会に参加した折「○○範士に教えていただくのは初めて」と喜んでいる方がいたが、地方ではなおさらのことであろう。
講習会の機会が多くあることには感謝するし、講師の先生方の熱意には頭の下がる思いであるが、受講する側の問題を少し考えてみたい。
もともと私は講習会に参加することに積極的ではなかった。道場の先生、先輩が講習会で講師や指導者を務めるような方々であったためで、外の講習会に行かなくても充分に勉強する機会に恵まれていたからである。それに加え、私は習った事を練習し、体が覚え自然に動くようになるまでに何ヶ月も何年もかかるし、そのうちに忘れたりして自分勝手になって、また思い出して練習し直して・・・と不器用な練習を繰り返しているからでもある。
しかし私は、不器用でいいと思っている。器用に習うことをとても警戒するからである。もちろん講習会の先生の言葉でふっと分ることがある。言葉が変わることで“あぁそうだったのか”と理解できたり、納得できたりすることが講習会ではよくある。しかし、それで出来たり分ったつもりになるのは大変危険なことで、講習会で分ったつもりになっても、道場に戻るとさっぱり出来ないということは多くの方が経験していると思う。習ったことを自分のものにできるかどうかは日々の練習しかないのである。
講習会に参加することは良いことである。それを否定はしない。だが私たちは、日々の練習で何を注意し何を習得しようとしているのかをよく心に刻み、今習い練習していることが充分に出来ているのかを反省することが大切ではないのだろうか。よく分らないから、上手に出来ないからといって安易に講習会に出かけているようでは、なんとも情けない気がする。道場での先生は私たちを修練の過程の中で見ている。焦る必要は無い。今やるべき練習を一つ一つ丁寧に重ねて、安心して練習していればいいのだと思うのである。
よほど、講習会で教えていただく先生が毎回同じなら話は違うだろうが、自分の道場で受ける指導とは違い成長経過を見ていただきながらの指導にならないことを受講する側は理解しておかなければならないと思う。もっとも、講習会で講師をされるような先生方はさすがに素晴らしい方ばかりで、棋士が対局を覚えているように、受講生を見て“あぁこうゆう射をする人だったな”と過去に見た射を覚えていてくださることも多いからあまり杞憂することも無いのかもしれないが・・・。
毎回のように講習会に出かけている方はどのような思いで行かれているのであろうか。考えを聞きたいと思っている。
私は不器用に習うことを大切にしたいと思っている。一人の先生からの教えもまだまだ身についていない未熟者であるから、多くの先生に習うことに不安のようなものを感じてしまう。自分の練習や心がばらばらになってしまうのではないかと心配するのである。
多くの素晴らしい先生の経験や言葉、人柄に接し、吸収したいという気持ちは分る。しかし山を登るのに、一時にあちらこちらのルートから登るようなもので、それでは迷子になるのと同じで、そういう練習には害のほうが大きいと思う。“この先生はこう言った”“あの先生はああ言った”ということになり、先生の言葉が言葉だけになってしまう。文献資料を読みしらべ、知識を増やすのとは違い、自分の体で実践して教えられた言葉の意味が身に沁みてくるようになるまでには時間がかかるものである。先生の教えが問題なのではなく、教えられる私たちの技量の問題である。一時に多くの先生に習うと、与えられた知識、借り物の知識になってしまい、技術も小手先のものになってしまうと思っている。
講習会も数多く出れば勉強になるというものでもないであろう。普段の練習をじっくりとやって、その上で、自分がどこまで成長しているのかを見ていただくようにしてはいかがであろうか。射にはその人の心構えや練習が映し出されるし、自分自身にもその前の講習会と比べて成長の差が感じられ、意義のあるものになると思う。
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